虎になって

虎になっていきる、虎になって眠る

他人と映画

今、見たい映画が沢山あるしっぽだ。スパイダーバース、アリータ、ボヘミアン・ラプソディは見たい。上映中じゃないものでも、1はすごく刺さったけど2が刺さらなかったバックトゥーザフューチャーの3は見ておきたいし、この前テレビでやってたカメラを止めるなも結局録画をしただけで見ていない。

そんな中、ドタキャンで余ったチケットあるから映画来ないかとSNSのメッセージ。何見に行くか書いてない時点で、こりゃだめだ。どうせ恋愛モノだろうと思い、ガン無視した。当日まで無視してやろう。そもそも映画を人と見に行く理由がわからない。なんでわざわざ足枷嵌めて映画を見に行くのか。感想を語り合いたいから?こっちも向こうもまともな感想出るほど映画見てないし、ペラッペラの感想は、言いたくないし聞きたくない。しかもなんだ、あまりのチケットを消費したいがために、俺を誘ったのか。虚しさと怒りが込み上げてくるな。

今日は疲れたし、メッセージは無視して早めに寝てしまおう、と本を取り出し、乙一さん作短編集「箱庭図書館」の中の青春絶縁体を読んでいた。すると電話だ。映画メンバーの補欠に俺を入れてたヤツからだ。何故だろうか、メッセージは無視できても電話は無視できない。変なところで不器用で、弱いしっぽだ。渋々電話に出る。ヤツはメッセージの内容を繰り返す。いや、知ってるという言葉を飲み込み、適当な相槌をうつ。一通り話し終えたところで、しっぽは聞いた。「で、何見に行くの」。以外にも、グリーンブックを見に行くそうだ。恋愛モノじゃなかったが、有名になったから、賞取ったから見に行こう、みたいな考えか、と思った。しかし、音楽モノだし、悪くないかな、と思ったりもした。独りで、レンタルで見るのなら、だが。ここで問題だったのは、しっぽが正直者であること、このブログのように文字に起こすときには好きなだけ嘘つけるのだが、電話口で嘘が付けなかったことだ。これが一番の後悔。「明日は空いてるよ」。何言ってんだ、過去の自分。金欠で、外出したくなくて、映画自体も金と時間があれば見る、見に行きたい映画二軍止まりだった作品なのに、何が明日は空いてるよ、だ。自分の外面の良さにドン引きしながら、俺は他人と映画に行くことになった。

あー面倒くせぇ、ヘッドバンキングしながら、(そこまで仲良くない奴らと映画か。終わったらチャリで即帰ろう。車じゃ乗せる乗せられるとかあって面倒だ)など考えていた。

そんな中また一つメッセージ。明日のチケット代と

「この電車で行きます」。

やおいおい。何かの見間違いだろう。近くに映画館あるじゃねぇか。メッセージを開くと、少し離れた街まで行くようだ。電車で。完全に明日1日縛られた。しんどい。やめたい。行きたかない。しかししっぽに「面倒なのでやっぱやめます」、などと言う勇気がない。どうか神よ、性格に見合った断る勇気をくださいまし。

そうしてしっぽは、そこまで見たくない映画を、そこまで仲の良くない友人と(これは友人と言うのかな)、わざわざ電車に乗って見に行くことになったわけだ。軽い生き地獄だ。遠くに聞こえる電車の音、すごく好きだったが、今日は忌々しく聞こえる。

明日の事を考え、明日以降の財布を想像すると、ああ、何とも悲観的になる。好きな女の子でも来ればいいのに、と淡い期待ー全くその可能性は無いのだがーを持つことで、何とか正気を保っていられそうだ。もうしっぽの青春はとうに終わってる、などと言うな。心はピチピチの16歳だ。

ここ最近で最も私的で、感情的で、文字数が多い記事の内容がこんなんでしっぽ自身もがっかりだ。書いてるだけでため息が止まらないために部屋の二酸化炭素濃度が0.02%くらい上がったところで、今回は終わりにしたい。でも、絶対この感じ分かってくれる人いると思うんだよなぁ、と同族を求めてネットにパンくずを落としてまわるしっぽであった。