虎になって

虎になっていきる、虎になって眠る

チャートとしっぽ

 梅雨に入って、連日の偏頭痛で粗大ゴミになっていたしっぽだ。処方されたクソ高い薬が効かない時には、怒りと焦り半々だったが吐けばスッキリだ。

 ここ数年(しっぽがまともに音楽聴くようになったのもここ数年なのだが、、、)、洋楽の影響を受けているのかな、しっぽの中にはこの曲の感じないな、と思わせてくれる日本のアーティストはどんどん増えて、尚且つメディアへの露出も増えている気がする、例えばking gnuとか。声ガンガン重ねていじるの、かっこいいよね。

その影響もあって、洋楽に手を出し始めたしっぽだが、ワールドチャートを聴いて、いや本当に驚いた。まじでロック無い。後ろの方まで聞いていってもまず出てこない。日本のチャートを見ると、髭男、king gnuミスチル、back number、Mrs、ドロス、ワンオクなどなど、、、バンド形態の音楽が盛りだくさん、あいみょん抜いたら大体それ。音やコードがが単純なバンドは日本でも少ないのかもしれないけど、それでもバンドミュージックが流行る環境が日本にはあるな、と思わせてくれるチャートだ。一方で、海外は、詳しいことはさらさら分からないが、ソロアーティストが目立つし、ギターのジャカジャーンみたいな音は聴けないし、EDM系やレゲエ系(レゲエも全然わからんから感覚だが)が多い気がする。ソロもEDMも悪くないし、打ち込み系は低音ずんずんして結構好きだけれどテンション高すぎるのはキツイし、レゲエとpopの掛け合わせみたいなのは全然好みじゃなくて、うーん、すぐ飛ばしちゃう。

しっぽとしてはギターが聴きたいわけで、ベンベン主張するベースが聴きたいわけで、今の洋楽の流れとしっぽの趣味は、あんまり合ってないのかもな、と思ったのだった。

 

あとついでに気になったのだが、日本人同じ曲ばっか聞いてない?「小さな恋のうた」は、映画関係で再ブレーク、これはわかる。「君はロックを聴かない」「HANABI」「ワタリドリ」がまだ上位に食い込んで、夏に向かうというのに「クリスマスソング」が上位に居座って、「シェイプ・オブ・ユー」の順位がまた上がって。極めつけは映画のこと覚えてないだろ、と思うような「打上花火」が11位まであがったこと。DAOKOの去年の私的旅行に収録された「オイデオイデ」とか結構好きだったけど、聴いた人少ないでしょ。今年入ってから「ドラマ」出したけど聴いてないでしょ。まあ米津さん聴けるのが打上花火だけってのも大きいと思うけど、いくらなんでも同じ曲聴きすぎだとおもうわ。邦楽しか聴いてこなかったから比べようがないけど、毎日のように新曲発表されて、ストリーミングにも反映されてるのに聴かないよね。お金払って聴いてる人がそれだから、そうでない人は尚更で。

それが悪いことか、良いことか、それはわからないしそんな価値基準ではかることでは無いと思うけれど、それでいいの?とは思っちゃう。そんなしっぽであった。

友情

あまりの運動不足に危機感を感じて筋トレを始めたしっぽだ。トゥタッチ腹筋(爪先と指先をくっつけるタイプの腹筋)が、持ち前の運動神経からか、全くうまくできず、まるで岸に揚がったマグロのようになってしまう。こっちは真面目だかんな。

 

さて、今回はしっぽがぴちぴちの18歳の時に体験した、友情にまつわるしたいと思う。これは如何にしてしっぽという人間もどきが産まれたか、そのストーリーの末端を担う話だろう。

 

高校時代ーまだしっぽが人間をやって社会に馴染んでいた頃ー音楽という共通の趣味をもった友達が同じクラスに2人いた。FちゃんとI君としよう。そのふたりとは音楽の趣味もまあまあ合って、I君はツイッターのフォロワー10万人前後ぐらいのバンドが好き、Fちゃんは地元のライブハウスに通ったり、かなりマニアックなアーティストまでディグディグしてる娘だった。そんな音楽オタクのFちゃんはそこまで可愛くなかったのだが、愛想が良くて話を聞くのが上手だったので男女問わずみんなの人気者だった。そして、当然のようにイケメンサッカー部のS君と付き合っていた。

しっぽが通っていた高校はサッカー部に力を入れていて、立派なグラウンドや本格的なトレーニングルームがあるなど設備も整っていた。そんな風潮の中サッカー部は調子に乗りまくり、制服を着崩し、肩で風を切り、大声で喚きながら校内を徘徊する、陰キャ一同からすると鬱陶しい存在だった。さらに投資額の割に合わない活躍ぶりで、他の運動部からも部費泥棒などと影で罵られていた。奴らは知らないだろうが。

そんな中、S君は制服を綺麗に着て、落ち着いた学校生活を送る他、学級委員を務めるなど真面目な活躍ぶりだった。部活の方でもレギュラーでバリバリ活躍する、嫉妬するほどの完璧超人だった。それでいて驕り高ぶることもなく、Fちゃんの友達だからというだけで登下校中トボトボ独りで歩くしっぽに声をかけてくれるなど、いやはや性格までイケメンなのだ。Fちゃんも気が利いてクラス活動ででしゃばらない程度に皆をまとめて補佐する、みたいな出来る女の子で、委員長をやっていたしっぽは副委員長をやっていた彼女に随分助けられた。そんな二人はお似合いのカップル、他のバカップルとは違って公衆の面前でイチャコラしないとか、応援したくなる関係だった。

 

そんな中、何となく怪しい風をしっぽは感じていた。FちゃんとI君の距離が近い気がしてならない。近すぎる。しっぽと同じクラスだからよく分かる。I君、もしかして気があるんとちゃうか、そう思ってしまう程二人の距離は近かった。極めつけは、ぶらりと寄ったハコに、FちゃんとI君の二人でいたこと。あれ、S君は?と聞くと、ああ、今日はいないのなどと曇った返事。でも考えすぎかな、彼氏持ちに手を出すクソ男じゃないよI君は、そう思った当時のしっぽ。確かにI君もしっぽに声をかけてくれるような爽やか男子だったから、思い過ごしだと思った。友達とライブハウスに行くのは普通だし、と。

 

それから一月ほど経っただろうか、FちゃんとS君が別れたと、I君から聞いた。

I君「FとS、別れちゃったって」

しっぽ「そうなの!?あの二人はお似合いだったからちょっと残念だな〜」

I君「どうも、俺とFが仲いいのを勘違いしたらしくて、嫉妬しちゃったみたいなんだよね。相談されたけど何もできないしさ〜。申し訳ないことしたな〜。」

しっぽ「あ〜」←コミュ障発動&いやお前結構悪いだろの「あ〜」

I君「そんなつもりは全然ないんだけどね〜」

しっぽ「あっ、ないんだ。ちょっと安心した。」

I君「そりゃそうだよ。あはは。」

しっぽ「そうだよね。あははは。」

 

そうして、S君も嫉妬すんるだな、と思ったり、テストなり行事なりに追われるうちに2週間はあっという間に過ぎていった。

疲れて帰ったあと、公式からのラインが12,3件溜まっているのを見て(当然すべて公式からである)、既読でも付けるか、とアプリを開く。目に飛び込んできたタイムラインには、FとIのツーショット。いや友達とのツーショットをトプ画にするのは普通だし。自分に言い聞かせた。

次の日Iから、「しっぽには言っとかなきゃっておもったからなんだけど、俺たち付き合うことになりました。」とご丁寧な報告を受けましたよ。はい。しっぽ人間不信の始まりです。男女の友情は成立しない派になりました。

いや怖いよ。どっちからアプローチしたか知らないけど、Iからのアプローチなら破局の原因がアプローチとかマジ訳わからんし、しかも俺に「そんなつもりは全然ないんだけどね。」とか言ったじゃんかよお。でなんだ、たとえFからのアプローチだとしてもIはお前が原因でいざこざがあったんだぞ、しかも興味ないんなら断れやしっかりよお。聞いたときには鳥肌ゾッワぁぁぁぁってたって、苦笑いで「あ、ああ、おめでとう、うん」みたいな返事が精一杯だった。

 

当時陰キャだった一方で学級委員なんてやっちゃう真面目で無垢なしっぽは、その日以来人間の裏の面を探るようになった。それほどにショッキング、お昼のドラマと同じ分類の出来事が自分の直ぐ側で起こった、そんな感覚だった。今思えば随分と多感だな、と思うが、人との距離の置き方、人の見方は癖になってしまった。

完璧備忘録みたいな記事、最後まで読んだ方はご苦労さまです、クソつまらなかったでしょう。次は音楽の話とかもうちょいまともな記事書きますんでどうぞよろしく。通常運転、オチもなく終わりだ、どうも。

ノルウェーの森を読んで

右足の中指、爪と肉がびったりくっついちゃってて爪がいまいち切れないしっぽだ。何気に痛いが生活に支障はないし、爪の障害だなんてなんかものすごいジジ臭いので、リアルでは秘密だ。文面で見ると少しグロテスクだが、実際は小綺麗なものだ。

 

しっぽが大好きなYouTuber、ある意味で尊敬までしているYouTuberさんなのだが、その方がいつも持ち歩いている本が2冊、それが安部公房「壁」と、ノルウェーの森下巻だそうで、それなら読んでみよう、と手に取った。「壁」は短編だったが、異様な状況な分、スピード感のようなものはなく、少し疲れた。そもそも、話の内容が脳の疲れるもので、しかしそれは素晴らしい事、発想のユニークさは天下一品であった。個人としては「Sカルマ氏の犯罪」以上に「バベルの塔の狸」が好みだった。

 

「壁」を1週間ほどかけ電車内でゆっくり読み、さて次はノルウェーの森か、などと思い書店に寄ると、他の小説とは違い、平積みでもないのに上下巻ともに2冊づつ陳列されるノルウェーの森を見て、あら今でもよく売れるのかしら、などと思ったものだ。電車の中で頁をめくる。「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」真理をつくスマートな言葉だ、さらに死を扱う小説か、死をめぐる体験が最近多いしっぽは、その傷を癒してくれるのか、はたまたしっぽに新たな死の価値観を提示してくれるか、、、この時ノルウェーの森に対するしっぽの期待は、大きく大きく膨らんでいた。

しかし、しかしながら、「ノルウェーの森」は期待に応えてはくれなかった。話が進めば進むほど、しっぽは困惑していった。彼の独特な文体にではなく、あまりにセックスしかない点に、だ。やたらと精巧な描写で描かれる性交の様子は、いままでにそういった類の小説を読んでこなかったしっぽを酷く困惑させ、そして死の対極ともいえるセックスを延々と続け、セックスしてない時には彼女とのセックスを思い出して、小説の8割がかなりエグい性の話だった。そういった印象。下巻に入る頃には惰性もいいところ、最後のレイコさんとヤッた時には流石にうんざり、もしそのときにまだ四分の一程残っていたのなら、流石に読み通さなかったと思う。

古い作品にも関わらずこれほどまでに評価、売れ行きがよく、それなのにこんなに訳がわからない筈がない、きっとしっぽが童貞で性に対してあまりに無知だから「ノルウェーの森」が理解できなかったのだろう、そうやって自分を疑った。その説も濃厚だが、如何せんオチがない。始めしっぽの胸を膨らませた命題である「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」は何処で解決ないし回収されたのかさらさら検討がつかなかった。確かに出てくる登場人物全てに微かな死の匂いがつきまとったが、だからといって大層立派なこの命題は全く解決されていないと、そう感じた。一度しか読んでないクソ童貞は黙ってろとか思ったハルキストの方々には申し訳ないが、正直な感想がこれだ。全く申し訳ないと思っていないから記事にしてるのだが。

実際周りの読書家に聞いても村上春樹はオチがない、と言うし、今ではあながち間違ってない感想だと思っている。この本を勧めてくださった方も、村上春樹はオチがないけれど、それがリアリティであり、身近な生活のように感じられるところが、彼の魅力である、といった趣旨の事を後日話していた。今回は、しっぽには合わなかった、そう考えることにしたしっぽであった。

「化けるレコード」ニガミ17才

 一月ぶりだろうか、ずっとスマホの片隅で白白と輝く「はてなブログ」を見て見ぬ振りしてきたしっぽだ。

書くことは幾らでもあるし、書く時間も幾らでも捻出できる自堕落な生活をしているにも関わらず、さすが自堕落、自分でおっぱじめたブログさえも更新しない始末。イヤホンを耳に突っ込んで本の虫になっていた事は、秘密だ。

 

さて、今日はハマりにハマっている、凶悪変態バンド、ニガミ17才の「化けるレコード」という曲を紹介したい。何せCDで買ってジャケットなり歌詞カードなりをたっぷり楽しむ派であるしっぽが、通販を待ちきれずにiTunesで購入するくらいなのだから、これはもうすごい。

 

メンバーは強者が集まった、言うなればシャボンディ諸島なのだが、そこは省略。今の彼らを見れば、その変態的変態性は他と一線を画していることがわかるだろう。

音楽性はど変態でありながら、かなりポップというか、聴きやすい印象。ただ、今までの引き出しになくて、もちろん嘘つきバービーとも違うし、八十八ケ所巡礼とも変態のベクトルが違う。

 

少し脱線したが、今回は曲だ。この「化けるレコード」を聴くにあたって、注目ポイントは4点。

1点目、リズム。細かく刻むハイハットがどストライク。ウッドブロックが心地よい。あと、Bメロ前のダラッダラッてスネア、パリッと決め感があってクール。ベースはもう特別、抜群に良くて、知識のないしっぽでは良いとしか形容できないのだけれど、神フレーズを繰り返されたら、それは興奮するだろ、もう。フレーズ最後のデレレー、がたまらない。間奏は特にベース聴きどころで、うねってる。ドラムベース共にしっぽの好みを的確に突いていて、そして繰り返しで耳にも残る、最強。

 

2点目、絶妙な彩りシンセ。同じフレーズ、似たフレーズを繰り返すことで上質なメロディを刷り込んでくる。凶悪。サビでは長めの音を入れてくれる事で、細かいドラムにも関わらずバタバタ感は無い、それでいて彩りを添える、絶妙な具合。Aメロではちょっとしたスペースにシンセを入れ、もう離さない。〆に前面に出るメロディーも気持ちよくて、最後まで飽きがこないのだ。しっぽは結構途中で次の曲、、、みたいなこと多いのだが、ニガミは最後まで貪るように聴き入る。あと、これはYouTubeで見た場合に限るが、シンセのあくびちゃん可愛い。コメントでも、音楽の評価曲がるくらい可愛い、と絶賛されてる。にゃんこスターの可愛い部分を培養したのち抽出し、そこに岩下さん(Vo./Gt.)の変態性を混ぜるとああなる、ちょっと違うか。まあ、そこも注目。

3点目、歌詞。愛の在り方を感覚で塗りつける。首元から軟骨化してるOL。腐敗を重ねながら台所をうろつく(これは特別しっぽに刺さる)。極め付けは、「ちぇっ しゃー ばさっ ごそごそ かたかた ごくっ ぱきぽきぱき きゅー  くちゃくちゃ かたかた じーっじーっ かたかた じーっじーっ かたかたすぴー ぱちっ はわっ ちぇっ しゃー ぼー ぱちっ はわっ ちぇっ ぼー ごくっごくっごくっ  かたっかたっ すぴー やかましい」このフレーズ。これは生活音だと想像しているのだが、これ歌詞にするか普通?絶対違和感だと思うだろうが、実際はぜんぜん有り。七色に光る跳ね油ぐらい有り。

4点目、歌詞にも深く関わってくるのだが、ボーカル岩下さんがすごい。始めてみたときは(MVから入ったのだが)それはもう短いパンツに超絶猫背、加えておかっぱロングヘア、まあかなり奇抜だな、と思ったが、いざ聴くと複雑怪奇な歌詞がものすごく聞き取りやすい。奇天烈な歌詞がスッと入ってくるー咀嚼に大変な時間を要したが。塩梅で塗ると丁度いいって言われてるみたい、という歌詞の「言われてるみたい」が気持ちいい。かの有名な、という歌詞の「かの」が気持ちいい。やっぱり一番は擬音後の、「やかましい」、これはもうここだけ切り取って2時間半耐久作業用BGMに仕立て上げたい程。流石にやかましいか。今では、岩さんの履く便所サンダルがかっこよく見えてしまう。もう病気だ。

 

この記事を書き始めたとき、注目ポイントは2点、と書いていたのだが、止まらない止まらないで、なんだかんだで4点まで増え、結局全部書き散らし、この時点で分量は1800字に届きそうだ。

まとめると、世辞でもネタ作りでもなく、正真正銘性癖どストライクのバンド見つけちゃった、という按配だ。とりあえず3回聴いて欲しい、そう切に願いながら、強引に締めるしっぽであった。

 

https://youtu.be/f0vd-ELcz8Q

尊い

書くネタあるけど書く気力がない赤ゲージのしっぽです。早く寝な。

あまりに更新してなくていい加減なんとかせねばと思ったので、これなら書いてて元気出る、という生きる糧のうちの1つ、まあ今回は1人になるのだけれど、を紹介したいと思います。文体また変わった。

ずばりその方は浜辺美波ちゃん、愛称はべーやんです。テレビ出演も増えて、今日も何か番組に出ていたそうなのですが、残念ながらベッドに突っ伏して瞑想に耽っていたので見逃しました。決して寝ていたわけでは。

なんでしょうね、あの若さ溢れる透明感。もう彼女を形容するのに使われすぎている「透明感」だけれども、まあ言い当て妙というか、透明感=べーやん感があります、はい。自分も年が極めて近いのですが、あら不思議自分には彼女の輝きの片鱗も見られないない、くすみきってるんですね。若けりゃいいってもんじゃねえんだな。

良さをあげたらそれはもうきりが無いです。お顔はそれはもう愛らしいし、声は落ち着いていて綺麗で、すごく家族思いな面もあって、いやそれはメディアでのイメージ戦略とか言う人いますけど、それを理解していたとしても、それでもあんなに尊い存在はなかなかいませんよ。別に戦略でもなんでもこっちはズッポリ嵌ってるんですからいいですよ、全部ウソでしたとか言われても全然許せるから(いや九割九分本当ですよ)。

最近痩せたとか痩せすぎだとかよく見ますけど、いやなんでしっぽがエゴサしとるのか、というのは一先置いておいて、その次元の人間でない事を理解していただきたい、本当に。痩せようが太ろうが尊いまで来るともう関係ない。好きなように生きてください、と言いたい、そんな母性にも似た気持ちを持つのです。

役の幅も広がってますます活躍するべーやんが楽しみで、それを糧に今日も何とか生き延びました。

色々と気持ちの悪いことを書きましたが、「真夜中のシンデレラ」というラジオ番組、平日の深夜1時からべーやんが素敵な声を電波に乗っけてるので、起きてる人聞いてみてください。毎回新しい1面が見られて、そして毎回ほっこりします。

長くないのにここまでまとまりの無い文章読むのは久しぶりでしょうが、まあ浜辺美波尊い、これだけ覚えて帰ってください。しっぽでした。

NEOかわいい

書きたい事が溜まりに溜まっているけれど、書きあげて記事にするのはまことに面倒であると、しばらく何も書かなかったしっぽである。

この数週間で、裏側に立つ人間の貴さを教えてくれた「サカナクションのNFパンチ」最終回、心のバイブルと慕っていた「ロッキンユー!!!」の連載打ち切りといった2つの大きな壁を乗り越えた。鬱蒼とした重い日々の中、重い足取りで見たい映画を2本見て、ライブハウスに足を運び、素敵なアーティストさんを掘り下げる事で充実した日々を取り戻した。←イマココ!

 

何から書こうか、と考えた結果、もうNFパンチのサカナ屋のこと書いても古いかな、と思ったり(それでもゆくゆくは書くのだろうけど)、ロッキンユー!!!は最新巻まだ読んでないし、と言い訳したりする内に、ずっと書こうとしていた事を思い出した。これ書こう(ここでタイトル欄まで戻り、書く)。

 

題名を読んだ時点で察している彼女らのファンや、音楽に対して曇りない価値観をお持ちの賢人はブラウザバックをお願いします。

 

さて、今回はNEOかわいいバンドCHAIの「N.E.O.」についてレビューもどきを書こうと思う。この曲でこのバンドを見るのは、CHAIを知ったきっかけがこの曲であったというだけで、他意はない。このバンドの、なんだ、スローガンというか、それに含まれるNEOが曲のタイトルなのだから、この曲を通してCHAIを語っても、まあ問題ないだろう。

冒頭ドラムめちゃかっこいい。ハイハット、シンバルから入る形はかなり自分のツボなので、加点は多い。ビートの入りとかもスムーズというか、ガチャッとした後に入る分なんかよく聴こえる。ベースが入ってきて驚く、音が重い。シンセ、心地よく重い。なかなかクールだ。ギターはよい風味付けといった具合か、程よい歪みの上で軽やかに曲を導く良いアクセントだ。間奏に入ると音作りの重みというか、ズンとくる重さをよく感じられる。ガールズバンドらしからぬと言うと、誤解を生むかもしれないが、世間一般にイメージする、キャピキャピ系の女の子がチャットモンチーやサイサイ、今ではSHISHAMOなんかに憧れてバンド組んでみました、みたいなのとは、違う気がしてならない。その違いが音に現れている気がしてならないのだった。(別に例にあげたバンドが嫌いというわけでなく。チャットモンチー大好きですよ)

曲構成もイントロから歌を入れてきたり、それでいてまめに楽器を聴かせたり、途中ラップ調にしてみたりと、曲を最後まで聴かなかったり、最初の何十秒でスキップする人が多かったりする昨今の音楽事情を理解した上で戦略的に作ってるのか、と思わせる構造だ。プロなのだから当然と言われればそこまでだが、だいぶ若いバンドでここまで戦略的に作曲できるって、多分すごいのだろう。分からんけど。

バンドのコンセプトも、多様性を歌うことで最先端感を出しつつ、「この子っちよりは可愛いわ」と同性に思わせることで気持ちよくさせて、結果としてファンを獲得してきたように思えてならない。しっぽの勝手な想像だが、まあ賢い。「CHAIいい、かわいい」とかペラッペラの愛をモデルやらなんやらが語った暁には、お前顔ばっか見てるやろ、こいつらには勝ったとか思ってるだろ、などと邪推してしまう。でも、そんなモデルもターゲットの独りだとCHAI側は思っていそう、そういう話だ。正直CHAIはブサイク改めNEOかわいい方々が集まっているバンドなのだが、それでも自己陶酔の末彼女らを引き合いに出す(勝手に引き合いに出してるとか思い込んでるが)お前よりは賢いぞ、そこまで妄想をふくらませるしっぽだ。

そう、ここから核心だが、CHAIの4人、特に双子のお二人はなかなかにNEOかわいい。周りを見てもそうそう見つからない、もしかしたら自分の周りは恵まれているのか、そう疑う程度にNEOかわいいと思う。彼女らの音楽は戦略的で、音はかっこいい。でもコンセプトと顔面はどうしても好きになれない。かわいいにNEOは付かなくてよい。コンセプトはどうしても要らぬ妄想を膨らませ、彼女らを狡猾に見せる。今しっぽは、CHAIの曲を素直な気持ちで聴くことができないのだ。正直に言おう、彼女らが好きになれないのかもしれない。だいぶ前のMステ出演時にタモさんにタメ口で話したことなんかも、徹底したキャラ作りの上に成り立っているとか斜に構えて見てた。なぜならNEOかわいいから。コンセプトも。

そんなこんなで、彼女らは、ルックスより音楽そのもの、バンドとしての活動そのものを見るべきという、そうあるべき姿を全うしようとする理性と、いやルックスには勝てねえという欲望(これは欲望なのか?)とのせめぎ合いを生むバンドなのであった。

以上、中身までNEOかわいい腐りきった上、欲望に負けたしっぽでした。